不死身の漢 ~映画・その他ブログ~

ブログ復活しました。主に映画・アニメ・ゲームの雑記、レビューをしていくつもりです。

『ターミネーター』の”怖さ”とは何だろうか?

 ターミネーターの怖さとは?

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 『ターミネーター』シリーズへの批判の一つに、「最初の作品以外はターミネーターが怖くない」というのがある。

 確かに『ターミネーター』の一作目はホラー映画であり、不死身の殺人ロボットがどこまでも追いかけてくることが恐怖にして、面白さだった。その後のシリーズでも未来から送り込まれた殺人ロボットが追いかけてくる話にはなっているが(『4』を除く)、シュワルツネェッガーが演じたT-800の存在感は群を抜いている。シュワルツネェッガーがアイコンとなり何十年も経った今では「怖いキャラ」とは感じなくなったが、インパクトは変わらない。
 この一作目以降、殺人ロボットとしてのターミネーターのインパクトがどんどん薄れていったのは間違いない。その理由をこの記事では考える。なお、あくまで僕の個人的なターミネーター論なので、他の人にとってはまた違う理由があるだろう。

(個人的といっても、これまでさんざん言われ尽くしたことであろうが)

 

REV-9の物足りなさ

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 『ターミネーター:ニュー・フェイト』の新型ターミネーターREV-9の迫力は凄かった。監視システムにハッキングして標的を追跡し、二体に分裂する能力で襲いかかる。感情豊かに人間と会話できる能力で、言葉巧みにあらゆる施設に入り込んでは、凄まじい戦闘能力で邪魔者を次々に排除・破壊しながら主人公達を追いかけてくる。その映像は手に汗握った。
 しかしそれでも見てて何か物足りない。一作目のように殺人ロボットからの逃走劇に重点を置いているが・・・何が足りないのだろうか? 

 正直、REV-9は掘り下げが足りない。これまでの敵役のターミネーターの中では、(ジェニシスを除いて)最も感情豊かなキャラクターなのにそこを掘り下げない。途中ジョークを言ってみたり、シュワ演じるT-800に「我々は同じ目的で作られたはずだ」と説得するような言葉を言ってみたり、どこか感情のようなものを感じさせるのに、そこを掘り下げないのは勿体ないと感じた。

 だが、もし悪役ターミネーターのキャラクターを掘り下げるなら、その理由は「恐怖」のためでなくてはならない。

 『ターミネーター』の一作目に出てきた最初の殺人ロボット、ターミネーター・T-800には感情が存在しない、「ただの機械」だ。それを掘り下げることで1作目は「恐怖」「インパクト」を獲得できていたように思える。

 

人の姿をした機械

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 ターミネーターは人間の姿をしている、だが人に擬態しているだけで人間ではない。人を人たらしめている人間性や感情は存在せず、生物でさえない。彼は・・・いや、“ソレ”はサラ・コナーを殺そうと執拗に追いかけてくるが、それは彼女を憎んでいるからでも殺人に快楽を感じているからでもない。サラ・コナーを追いかけるのは、ただそうプログラムされているからだ、そのプログラムに沿って生体皮膚の下に隠された機械が稼働しているだけなのだ。言うなれば、誰も乗っていない車が暴走して人を轢こうとしているようなものだ。

 スピルバーグの『激突!』の怖ろしさは、運転手が最後まで顔を見せないことでトラックそのものが殺意を持って襲い掛かってくるように見えることだ。だがターミネーターには「殺意」と呼べるようなものさえない。「抹殺」を目的に行動しているが、それはただ入力された「プログラム」であって、「意志」ではないのだ。

ターミネーターとはあらゆる意味で人間でも生き物でもなく、ただの「機械」なのだ。

人間性を持たない存在

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中盤、カイル・リースはサラを連れて逃亡し、彼女にターミネーターをこう説明する。

 「あれは人間じゃない。取引も理屈も通用しない、同情も恐怖も無い」

この映画の五年前、79年公開の『エイリアン』の中にも同じようなセリフがある。

 「エイリアンは純粋な生き物だ。良心や後悔などに影響されない完全生物だ」

 

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 スイスのアーティストH・R・ギーガーの作り出したエイリアンは、金属と性器のハイブリットをイメージしたと言われている。円筒状の巨大な頭部に目は存在しない。メカニカルなボディは無機質な機械の印象を与える。エイリアンは一種の機械であり、そこに恐怖の理由がある。

 「顔が見えない」というのは恐ろしさを引き立たせる手段だ。ジェイソン・ボーヒーズやマイケル・マイヤーズが恐ろしいのは、仮面を被っていることで表情から感情を感じ取ることができないからだ。だから会話が通じるように思えないし、実際通じない。まるで機械のように無言で人を殺し続ける彼らが、シリーズが進むにつれ銃で撃たれても車で轢かれても死なない不死身の殺人鬼になっていったのは、まさに人間性の無いマシーン的な恐怖を強調するためだった。

 ターミネーターはエイリアンと違って目も顔もあり、ジェイソンのように仮面も被っていないが、「人の皮を被る」という言葉通りに人間の皮膚を被っている。顔も体も全てが偽物だ。普通の人間のように感情によって表情が変わることはない。常に無機質な無表情のままであり、無表情のまま人を殺す。

 「良心も後悔も無い、同情も恐怖も無い」というセリフは、「人間とは何か?」という哲学的な問いかけでもある。善人であろうが悪党であろうが、感情が人間を人間たらしめている。とてつもない悪党、殺人鬼を客観的に眺める時、たとえ彼が何百人殺していようと、感情があるとわかっていれば、どこかに「理解できる」「意志の疎通ができる」という安心を感じる。だが機械ではそれは当てはまらない。

 だからこそカイル・リースは重要な存在だ。同じく未来から来ているが、生粋の人間であり、戦士ではあるがどこか弱弱しさを感じさせる。戦争での暮らししか知らないという、同情してしまう過去を背負い、常に険しい顔をしてるが、サラと結ばれたことで笑顔を見せるようになっていく。人間性の塊だ。感情を持つ人間と、心を持たないマシーンの違いがカイルの存在によって浮き彫りになるのだ

 

人間に擬態した機械が街にいたら?

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 一作目は「機械が人間に擬態して街にいたら?」ということを掘り下げて描いている。

 まず強化された機械の骨格を人間の皮膚で覆うなら、それは自然と大きな体格になるに違いない。驚異的な肉体を持つシュワルツェネッガーをターミネーターに起用したのは抜群のキャスティングである。さらに心を持たない機械だからシュワの言葉は全て感情の無い淡々としたものになり、何かを見る時は監視カメラが自動で回転するように首をゆっくりと動かして視線を移動させる。

 ターミネーターの面白いシーンの一つで、T-800がモーテルの部屋で情報収集をしてる最中に掃除のオジサンがやってきて「掃除しても良いかい?」と扉をノックする。するとT-800の主観映像になり、「返事のパターン」というメニューが表示され、その中から「うるせー馬鹿野郎」(“Fuck you asshole”)を選択する。そしてT-800は感情の無い淡々とした声で掃除のオジサンに「うるせー馬鹿野郎」と罵声を浴びせるのである。笑ってしまうシーンであるが、これも「ターミネーターとは何か?」を描いている部分だ。

 ターミネーターは言葉を話すが、それは単に人間を模倣する機能の一環に過ぎず、コミュニケーションが目的ではない。言葉には感情がこもり会話は人間同士の心の交流だが、ターミネーターにとってはただの音声記号の組み合わせによる情報の伝達に過ぎない。

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 銃砲店に入り無表情で銃を注文した後、淡々と店主を撃ち殺すシーンや、電話帳で調べた名前を頼りにサラ・コナーという名前の女性を一人一人殺していくシーンなどは、「機械は殺人を一切躊躇しない」ということがわかる。

警察署の中に入っていき受付の前で周りをゆっくり見渡した(スキャン)後に「また来る(” I’ll be back ")」と一言いい残して出て行き、その十秒後に車で突っ込んでくるシーンは、「機械は警察も軍隊も恐れず、自身の身の安全さえ考慮しない」ということがわかる。

 しかし誰も”ソレ”が機械だとは信じない。市民も警察も疑わない。 人々は街に怪物のような存在がいても、見かけが同じなら誰も疑問に思わない。街の人ごみの中を歩く”ソレ”の皮膚の下が金属の骨格だったとしても・・・ 

 殺人をプログラムされた機械が、人間社会に入り込んできたらどうなるか?というシュミレーションが、ターミネーター一作目の面白さであり、これがターミネーターというキャラクターに圧倒的な存在感を与えた。

「人間は自分と違うものを怖れる」とよく言うが、ターミネーターとは人間社会の中では完璧な異物であり、シュワの演技からあふれ出す異物感こそターミネーターの気味の悪さ、恐怖ではないか?

 

一作目をひっくり返した二作目

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 逆に二作目は、それをひっくり返したところに新鮮さがあった。殺人機械であったシュワルツネェッガーを“守る側”として描き、心が無いはずの機械に心が生まれるまでを描いた。前作で無慈悲な殺人マシーンぶりを見たからこそ、同じ顔をしたサイボーグが人間の命の大切さに目覚める瞬間には大きな感動と驚きがあった(その代わりに冷徹なマシーンとしてロバート・パトリック演じるT-1000を悪役として用意し、恐怖の部分を保っている)

 映画2作目の時点で、「機械に感情は無い」という一作目のテーマにカウンターをしてみせたところが『ターミネーター2』の優れた部分だ。

 だが機械の恐怖を描いた一作目と、それをひっくり返した二作目の時点で既にターミネーターというキャラクターは描かれ尽くしたのか、それ以降の作品に出てくるターミネーターは、結局は『1』『2』の縮小した焼き直しでしかなくなった。

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 『3』『4』『ジェニシス』『ニュー・フェイト』に登場した“悪いターミネーター”達は、「人間社会に入り込む機械」という『1』のテーマの(不完全な)やり直しにしかなっていない。特にシュワは『3』以降は“良いターミネーター”ばかり演じているが、それも結局は「機械にも心が生まれる」という『2』の(不完全な)繰り返しだ。 新鮮さはなく、ターミネーターにキャラクターとしてのインパクトはもはや無い。

(ちなみに評判の悪い『3』において、監督のジョナサン・モストゥは、『2』の繰り返しにしたくなかったのでT-800とジョン・コナーの関係を「部下と上官」以上の関係としては描かなかった、と語っている。実際、『3』におけるジョンとT-800は最後の別れのシーンに至るまで、かなりアッサリしている)

 

ターミネーターの恐怖は復活するのか?

 では「『1』『2』でアイディアは出しつくされたから、もう無理だろう」というのが結論かと言うと、そうとも言えないと思う。

  参考にできそうなのは、『エクス・マキナ』『アナイアレイション -全滅領域-』などのアレックス・ガーランドの映画だ。

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 ネタバレは避けるが、『エクス・マキナ』に登場する女性型AI エヴァには感情があり心がある。だからこそ彼女のほほ笑みや言葉の一つ一つにはホラー映画のような怖ろしさがある。 同じように『アナイアレイション』に登場する人間に擬態する“ナニカ”には明らかな感情が持っている、だからこそ人間にとっては恐怖の存在だ。

 映画評論家の町山智浩は、クローンやAIによる「人間の複製」こそガーランドの映画のテーマだと分析している。 実際に高度なAIが人間社会に浸透している今、「感情を持ったAI」というのは単なるSFの設定ではなく、実感を持ったリアリティとして感じることができる。彼の映画に登場する「人間ではない存在」は、新しい時代の恐怖キャラクターとして新鮮さがあるのだ。

 なら機械が感情を持つがゆえの恐怖というのも『ターミネーター』は描けるかもしれない。

 だがそれは、後の時代に非常に差別的なものになってしまう可能性も含んでいる。今後本当にAIに感情が生まれ、人権まで生まれた時に、『ターミネーター』のような映画は「AIを暴力的な存在として差別的に描いている」と問題になるのかもしれない。そうなった時に評価されるのは『2』であり、『2』の繰り返しである『ジェニシス』『ニュー・フェイト』なのかもしれない。

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『ニュー・フェイト』でお気に入りのカット。REV-9の底知れぬ邪悪さを感じさせる笑みが怖い。こういう部分をもう少し掘り下げれば良かったのに、惜しい。

 

 

 

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