不死身の漢 ~映画・その他ブログ~

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 『ドラゴンボール超 ブロリー』評論 「鳥山明の見たいモノ」と「アニメファン、スタッフが見たいモノ」は、果たして融合(フュージョン)できるのか? パート2

注)この記事にはネタバレが含まれてます。

こちらがパート1になります。合わせて読んでくれると幸いです。


 

ドラゴンボール』はバトル漫画か?

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 「『ドラゴンボール』はどんな漫画?」と聞いたら、世間の人達はどんな漫画だと答えるだろうか? 
 おそらく多くの人がセルやフリーザとの闘いを思い出しながら「バトル漫画」と答えるかもしれない。そして個性的なキャラクターたちの壮絶なバトルシーンこそ、『ドラゴンボール』(以下DBとも記述)のファンにとって最も見たいモノだろう。
 DBシリーズ、特に劇場版のシリーズは長い間「DBのバトルが見たい!」というその欲望を満たすために作られてきたと言って良い。DBの映画版は敵は違えど、ストーリーは基本的には全て同じで「とてつもない強敵とバトルし、ピンチになるが最後は語空たち達が力を合わせて勝つ」というだけで全て説明できる。
 前回のパート1でも書いたが、今回の『ブロリー』は上映時間100分のうち前半30~40分程度ふつうのドラマがあり、残り時間は全てが語空とブロリーの壮絶なバトルに費やされている。見ながら正直ちょっとバトルが長すぎるのでは?と思ったし、ネットにも同じような意見があった。だがこれはDBのファンとアニメスタッフの両方が望むものを反映した結果と言える。ファンもアニメスタッフも、DBのキャラクターには壮絶なバトルをして欲しいのだ、これは日本でも海外でも同じだろう。

 だが原作者であり新劇場版シリーズで脚本を務める鳥山明は違う、鳥山明がやりたいのはおそらくギャグであり、ギャグアニメにしたがっている。

 今回は、近年の劇場シリーズの傾向と、元々の漫画版の歴史を考えながら「鳥山明がDBで本当にやりたいことは何か?」ということを考え、DBが本質的にどんな物語であるのかを考察したい。

 

近年の劇場シリーズの傾向は「敵と友達になる」

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ブロリーを気にかけ、交流し、彼の寂しい心に寄り添っていく女宇宙人チライと中年宇宙人レモ。


 今回の映画『ブロリー』で中心となるのはもちろん敵役ブロリーのドラマなわけだが、そこに鳥山明は「僕が好きなタイプのキャラ」と語るチライとレモという新キャラ宇宙人を登場させている。軽犯罪で指名手配され仕方なくフリーザ軍に入ったチライと、長い間フリーザ軍の下っ端をしている中年レモ。この二人が宇宙の果てに捨てられていたブロリーを見つけ、気にかけ、交流し、そして最後には三人で一緒に暮らすようになる…というのが今回の『ブロリー』のストーリーだ。

 旧劇場版において敵役は基本的に全て倒してきた(殺してきた)ことを覚えている筆者からすると、かなり意外なラストだ。しかもブロリーといえばDBの旧劇場版において最も残虐な敵の一人で、語空からも「おめぇだけは許せねぇ!!」という叫びともに倒され、木っ端みじんにされる。(その後何回も殺されては復活し、そして殺される)
 しかし鳥山はそんなブロリーの設定を基本から変え、激しい怒りによって暴走するも根はやさしい純粋な男として描き直している。そして今回のラストでは、語空はブロリーを殺すことなく友達になってしまうのだ。
 近年の新劇場シリーズ『神と神』においても、最後には敵役の破壊神ビルスと語空が友達になり、その後は一緒に遊ぶような仲になる。このように そもそも敵役であるキャラがあまり悪い人達でないのが近年の映画版の最大の特徴だ。これも80~90年代の映画版を見ていて、クーラやバーダックやボー・ジャックや人造人間13号といった凶悪な悪役キャラと、彼らの倒されっぷりを覚えている筆者からすると、かなり意外だ。

 

悪役の目的がギャグ

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 さらに今回の『ブロリー』を見ていて気になったのは、登場人物たちの動機である。ブロリーを利用する敵役フリーザの目的がなんと身長を5cm伸ばしたいだけという、まるでレッドリボン軍の総帥みたいな理由なのも驚きだが、対する語空たちの目的もブルマの年を5歳若返らせたいだけだというのも凄い。
 「悪役の目的がくだらなすぎる」というギャグも、2013年の『神と神』以来 一貫している。破壊神ビルスが地球を破壊しようとするのはブルマの誕生会で機嫌を損ねた腹いせだし、その次『復活のF』ではフリーザの目的は復讐だが、地獄において妖精とゆるキャラのパレードを見せ続けられるという拷問を食らったことが怒りの主な理由だった。悪役の目的がこれでは、その後どれだけ激しい戦闘が起きようとも、もはやストーリーから緊張感は消えているわけだが、これは原作・脚本の鳥山明が意図的にギャグにしたくて書いているためである。(『神と神』の時に戸惑った人がいるなら、その理由は主に前半のしつこいギャグとキャラ崩壊(特にベジータ)だろう)

なぜ新劇場版シリーズはこのような脚本になっているのか?

 

鳥山明が描きたいのはギャグ漫画だ

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新シリーズを象徴するキャラクター、破壊神ビルス。最強の破壊神なのに子供の用に気まぐれでワガママ、でも根は良い人…というコメディキャラが最初の悪役だった。


 2000年代にDBのリバイバルブームが起き、2010年代になるとDBの続編となる新しいアニメシリーズがスタートした。その始まりが前述した2013年公開のドラゴンボール超 神と神』である。ここから始まる新しいDBのシリーズ(TVシリーズ含む)は、スタッフ達のインタビューを読む限り原作者 鳥山明の意向を最大限尊重する形で行われてきたように思う。最初、鳥山明はこの企画に“原案”として参加したが、『神と神』において本来の脚本家だった渡辺雄介の書いたシリアス寄りのプロットを大幅に書き直して、展開や台詞をコメディ寄りに変更した。劇場第二弾『復活のF』になると正式な脚本家として作品に参加、完全にストーリーを自分で作るようになる。

 『神と神』の時の渡辺雄介へのインタビューによれば、鳥山明は3.11以降の時世を意識して明るい話にしたかったからだ、という。

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『鳥山先生は、震災以降、悲惨な話じゃなくて、友情や仲間、ポジティブで前向きな話にしたい、むしろコメディがいいという想いが強かったようで、それがストーリーになって表れていますね』

 

映画『ドラゴンボールZ 神と神』33歳の脚本家が語る、「まじか!」な展開と「ベジータが裏主役」(1/3) - ウレぴあ総研

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 だが理由はおそらくこれだけではないだろう。鳥山明は2014年の『ドラゴンボール改』の完成披露試写会のインタビューで、「もうバトルものは書きたくない」とハッキリ発言している。そこで思うのは、新シリーズにおける鳥山明の望みはDBを連載初期のギャグ漫画に戻すことだったのではないか? ということだ。鳥山は別のインタビューでも連載当時を振り返り「ギャグが自分は向いている」と発言をしている。

 

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「漫画を描いている自分でさえイヤになるほど激しくくどい闘いの連続です。血圧高めで薄味好きのオジサンになってしまった今では、もうこんな闘いは描けません。というか、これ以降、闘いの漫画を描く気がなくなってしまいました」

 

鳥山明氏「闘い漫画描く気なくなった」 “魔神ブウ”後の心境告白」https://www.oricon.co.jp/news/2035733/full/

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「本来、僕はギャグのほうが好きで向いてると思うんですけど…一話完結にしなくていい、って理由だけで(DBを)ストーリー漫画にしました」

 

~『ドラゴンボール ランドマーク 少年編~フリーザ編』より抜粋~

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鳥山明と『ドラゴンボール

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DBの前作品『Drスランプ』。女の子ロボット アラレちゃんがペンギン村で大暴れするドタバタギャグ。アニメ化もされ絶大な人気を誇った。アラレはDBにも何度も特別出演している。

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ドラゴンボールの基礎となった読み切り『ドラゴンボーイ』と『トンプー大冒険』。画像は『ドラゴンボール ランドマーク』より。

 

 そもそも『ドラゴンボール』は鳥山明がその前に描いていたギャグ漫画『Drスランプ』の後続として始まった。ドラゴンボール』のルーツは1983年に鳥山明によって描かれた読み切り『ドラゴンボーイ』『トンプー大冒険』であるが、どちらも完全なギャグマンガである。最初期のDBは、怪力で野生児で頭が悪い孫悟空ドラゴンボールを追いかけるミーハーの都会っ子ブルマと出会い、スケベな豚ウーロンと、あがり症の拳法使いヤムチャを仲間に加え、間抜けでセコイ敵役ピラフ一味と戦うカンフーコメディであった。
 鳥山明は『ドラゴンボール ランドマーク』のインタビューで、ブルース・リージャッキー・チェンの映画がDBに影響をあたえていることを語っている。カンフー映画といえば延々と続くカンフーバトルと、拳での語り合い、そしてお馬鹿なギャグだが、そういったものがDBの背景にはあるようだ。

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1982年の『少林寺』。全員でカエル拳を練習するも、皆で頭をぶつけるギャグシーン。
香港映画は子供の考えたようなギャグが多かった。そして鳥山明はこういうのが好きだ。


 しかしそんな“ギャグ漫画“『ドラゴンボール』は人気を獲得できず、その後は修行編~天下一武道界の開催などジャンプ恒例のバトル漫画路線へとシフトしていく。この路線変更によってDBはジャンプ紙上において不動の人気No1の座を獲得、連載終了まで維持しつづけた。
 だが鳥山明はギャグを諦めたわけではなかった、隙あらばストーリーの合間に次々と自分の好きなお馬鹿ギャグを入れ続けた。語空の青年時代以降も、ベジータとかフリーザとかドクター・ゲロとか、キャラクターの名前をダジャレで作っていたのは「これはギャグマンガなんだよ!」という意思表示だったように今は思える。(例としてはオバサンのような喋り方のフリーザ、変なポーズ決めまくりのギニュー特戦隊などもある)
 しかしピッコロ大魔王編、サイヤ人編、ナメック星編と進む中で、ドラゴンボールは派手なバトルがメインの漫画へとなっていく。人造人間との闘いになってくると、「殺す」とか「殺さなきゃならない」とか「トドメをさせ!」みたいな、ブッソウな言葉が飛び交う殺伐とした展開になっていった。
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ドラゴンボール』の殺伐とした部分を象徴するセル編のシーン。もはやバトルを楽しむ余裕すらキャラ達から消え、実に深刻な状況に。鳥山明も描いててかなり辛かったんじゃないかと思う。


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「でも何が何でもギャグはぶち込んでやるぜ!!」という凄まじい意気込みを感じずにはいられないギニュー特戦隊


 鳥山明にとってドラゴンボールは本来、語空の幼少~青年時代編で終了したかったが、ジャンプ編集部はそれを許さなかった。ドラゴンボールの連載終了を巡るエピソードについて、95年に発売された『ドラゴンボール大全集』2巻の中で鳥山明が詳しく語っている。(現在は『ドラゴンボール超全集』として復刻)
「ピッコロ大魔王編」のラスト、マジュニアを倒し筋斗雲で去っていく語空の姿をラストに最終回を迎えるはずだったが、既に圧倒的人気を誇っていた連載作品を終わらせたくない編集部によって「続く」というコマが無理やり挿入されてしまった…というエピソードは有名だ。
 語空が大人になった以降のアニメ版のタイトル、『ドラゴンボールZ』のZとは、「「絶対にこれで終わりにする」という意味を込めてアルファベットの最後の文字、Zにした」ということを、後に鳥山は語っている。


鳥山にとってはサタンと魔人ブウが救いだったか?
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 だがそうなると『ドラゴンボール』と聞いてまず人々が連想するフリーザやセルとの超絶バトル物語の殆どが鳥山明にとっては不本意で描いていたことになる。あれほどの人気だったにも関わらず、全編シリアスなキャラだったセルは近年の新シリーズにはまったく再登場する気配がない(…が、なぜか間抜けなピラフ一味は新シリーズに再登場、大活躍するところに鳥山明の心の内がなんとなく垣間見えないだろうか?)。
 そんなセルとの闘いの後半で登場させたのがミスター・サタンというお馬鹿キャラである。このサタンというキャラクターが鳥山明にとって、当時どれだけの救いになっていただろうか?
 様々なドラゴンボール関連書籍において、鳥山明ミスターサタンが描いてて一番楽しかった」、という発言を何度もしている。『DRAGONBALL 極限バトルコレクション ラウンド02. 魔人ブウ編』の中でも「こんなセコイ奴ではあるけれど、悪い奴じゃない的なキャラは、描いてて楽しかったから好き」と答えている。
 いい加減バトルを描くのをやめたい鳥山明はセル編を描いていた当時、引き止めようとする様々な声を押し切り、DBの終了を決める。そして最終章の「魔人ブウ編」ではセル編までのストレスを解消するようなギャグまみれの話にしてしまう。敵役の魔人ブウ自体がギャグだが、恥ずかしすぎるフュージョンや、スーパー・ゴテンクス3のお馬鹿バトルなど、ネタの披露にいとまが無い。(それでも連続するバトルシーンを描くのが苦痛だったと語る)
 そして何より、全編においてミスター・サタンが他の主役キャラを差し置いて(お馬鹿な)大活躍をして、なんと地球を本当に救ってしまう。鳥山明はサタンと魔人ブウのようなキャラが出るギャグマンガこそ本当は描きたかった、ということなのだろう。

 そしてそこから見えてくるものがある。それは鳥山が描きたい理想とする世界観である。

ダメな人たちが互いに寄り添って生きる世界。

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 セコくて臆病なくせにプライドばかり高くて嘘ばかりつくサタンと、とてつもなく強くて何万人も人を殺すけど子供のような心を持つブウ、そして二人になつくボロボロの子犬。ダメダメな二人と一匹が寄り添って暮らすことで、ようやく一人前となり、最後には本当に世界を救ってしまう…魔人ブウ編における、このストーリーは鳥山明の好きな要素が色濃く出ていたと言えるんじゃないだろうか?
 『ドラゴンボール大全集』の4巻において鳥山明は、ドラゴンボールの続編としてサタンとブウを主役にしたギャグ漫画を描きたいと発言している。DBの連載終了後に描いた短編作品の数々は、どれもその欲望の片鱗を感じ取れる。ドラゴンボールをコメディ化した短編ギャグ漫画『ネコマジン』は、主人公ネコマジンの姿からし魔人ブウに近い。近所の人達と自由気ままに生き、なんだかんだ平和を守ってしまう最強の魔人ネコマジンを見てると「もしブウの傍にバビディ(ブウを操る魔術師)がいなかったら、ブウもこうなってたんじゃないか?」というようなストーリーに見えなくもない。

ネコマジン 完全版 (ジャンプコミックス)
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 この『ネコマジン』もそうだが、『DB』も『Drスランプ』も、鳥山明の漫画に出てくる人間はヒーローも悪役も基本的にはダメ人間ばかりだ。ものすごい格闘家だったり、偉大な発明家だったり、宇宙征服を狙う独裁者だったりするのに、どこかバカだったりする。たとえ敵同士であっても結局ダメ人間という共通点があり、バトルしてるうちになんとなく気が付いたら仲間になっているのがDBだ。
 鳥山が大好きな香港カンフー映画の多くが、カンフーを通じてキャラクター達が心を繋いでいく。同じようにDBの世界でもクリリン、ピッコロ、ベジータ魔人ブウ、そして最近はフリーザまで仲間になってしまった。
 語空もベジータも一人だけでは、迷惑なだけのただのどうしようもない人間だが、そういう人達がバトルによって出会い、互いに寄り添って暮らすようになることで、ようやく誰かの役に立てるようになっていく…。

 鳥山明が描きたいのは、そんなお馬鹿なダメ人間達が一緒に暮らすほのぼのとしたギャグ漫画なのかもしれない。

(ちなみに最近は映画『ワイルドスピード』がドラゴンボールの目指す世界にかなり近いように感じる。『ワイルドスピード』も作を重ねるごとに、前作の悪役がなぜか主人公たちの仲間になっているというお馬鹿なシリーズだ。)

 

鳥山明がダメ人間だから…

 鳥山明がなぜそういうものを描きたがるのかはわからない。だが前述した『ドラゴンボール ランドマーク』のなかで、鳥山明が自身の半生を語っている部分を読んでいると、何となく考察をしたくなる。

 子供の頃の鳥山明は本人曰く「絵を書くのが好きだが、遊ぶのがもっと好きな悪ガキ」で、学生時代はまっすぐ家に帰るのを嫌い、夜までワルイ事をしながらひたすら遊んでいたようだ。自信過剰で「俺の絵なら通用する」とデザイン関係の会社に就職するも服装にだらしなく、しかも遅刻を繰り返し、結局2年半で辞めてしまう。「朝が弱いから…」という理由であった。鳥山は当時を振り返り「困った社会人だった」と語っている。その後、遊ぶ金目当てで賞金のある漫画コンクールに自信満々で応募、これが落選する。だが頭にきてもう一度応募したことがきっかけで編集部の鳥嶋氏の目に留まることになり、そこから漫画家人生が始まった。
 この話を聞いてるだけでわかるが、要は鳥山明は天才だが、同時に奔放な性格、つまりわりといい加減な「ダメ人間」なのだ。この鳥山明の自由気ままな性格と人生が、彼の描くキャラクターに反映されている、というのはそんなに考え過ぎではないだろう。DBの世界では人がバタバタ死んだり簡単に殺されたりするが、あとで何となくドラゴンボールで蘇ったり、死んでもあの世で楽しく暮らしていたりする。この良い意味でさっぱりしたいい加減な世界観には、鳥山明の細かいことを気にしない性格が反映されてるように思う。
 (関連する話だが鳥山明は自分の描いたキャラを殆ど覚えていないほど、忘れっぽく飽きっぽい性格なのも有名で、今回のブロリーも本来旧劇場版で自身がデザインしたはずだったが忘れていたという)
 しかも人気が出た作品が、その後何十年経っても終われなくなる日本の人気漫画の状況、例えば『ワンピース』や『ブリーチ』や『バカボンド』『名探偵コナン』などを考えると、連載時に国内外で大量の利益を生み出していた作品を「もう面倒!飽きた!」と反対を押し切って、強引に42巻で終わらせてしまった鳥山明のマイペースを押し通す姿は「凄まじく強い意志を持ったダメ人間」である。

 

作者とアニメスタッフの「望むモノ」の融合(フュージョン

 こういう風に考えて『ブロリー』を見ると、上述した作者の望むDBと、観客とアニメスタッフの望むDBが正しい形で融合(フュージョン)し始めているように筆者には思える。80・90年代のDBの劇場シリーズは、凶悪な敵をとてつもないバトルの末に倒すカタルシスを描き、少年たちを熱狂させるのが最大の目的であった。そしてその従来の欲望を満たすために『ブロリー』のアニメスタッフは全力をあげて後半のバトルを作りこんでいるが、同時に作者の希望に沿うべくストーリーの面で鳥山の望みを最大限叶えている。そして前二作ではギャグを過剰に盛り込み過ぎて作品のバランスを崩していた鳥山明も今回は少しそれを抑えてブロリーサイヤ人のわりと真面目なドラマ、ファンが望むようなストーリーを描き、バトル部分は全てスタッフの思い通りにさせている。作者とアニメスタッフがお互いの望みに寄り添った結果、生まれたのが今回の『ブロリー』であり、その評判は上々だ。筆者も新旧合わせた劇場版の中でも五本指に入るほど面白いと思った。
 (ただ最後の覚醒したブロリーをマッチョな肉体にするかどうかは意見の相違があったという。鳥山はブロリーをあまりマッチョな肉体にはしたくなかったが、アニメスタッフは旧作を尊重し今回のデザインにしたと語っている)
 しかしもちろん本作も完ぺきな作品とは言えない。本作の問題はパート1に書いたのでそれを読んで欲しいが、それでも『神と神』『復活のF』のように、鳥山の過剰なギャグ描写とアニメスタッフの壮絶なバトル描写がミスマッチを起こすような状態にはなっていない。作品が一本作られるたびに、両者がうまい形で融合を完了しているように思う。

 次の作品では、作者とアニメスタッフが完璧なフュージョンをした作品が見られるだろうか? 筆者はぜひ見てみたい。

 

 

Dragonball LANDMARK 少年編〜フリーザ編 (ドラゴンボール完全版公式ガイド) (ジャンプコミックス)

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Dragonball FOREVER 人造人間編〜魔人ブウ編 (ドラゴンボール完全版公式ガイド) (ジャンプコミックス)

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鳥山明へのインタビューが特に充実しているガイドブック。鳥山の半生と彼の好みを知ることができる。

 

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鳥山が『ドラゴンボール』を自主コメディ化した漫画で、なんとDBのあるキャラも登場する。今回の話の流れから言うと、「鳥山明にとって最も理想的なDBはこれだったんじゃないか?」と思わせる内容。