えすぱーの映画ブログ

映画、ゲーム、アニメに関して勉強しながら雑記、評論をしていくつもりです。

『ジョジョの奇妙な冒険 第一章 ダイヤモンドは砕けない』批評

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ジョジョの奇妙な冒険 第一章 ダイヤモンドは砕けない


2017年 日本映画
監督 三池 崇史
原作 荒木飛呂彦
脚本 江良 至
撮影 北信康
主演 山崎賢人

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 最初から不評だった『ジョジョ』実写化

 荒木飛呂彦による同名の超有名漫画を日本一忙しい監督として有名な三池崇史 監督で実写映画化。
 日本一忙しいと書いたが、実際この人はいつ寝ているのだろうか?
今年の4月は『無限の住人』が公開し、去年は『テラフォーマーズ』と『土竜の唄」である。三池崇史は早撮りで有名で、アウトテイクでも使うことがあるというが、それでも 普通こんなに立て続けに大作映画を監督するということは物理的に可能なのだろうか? いつも不思議である。

 それはともかく、この実写映画は最初から非難ごうごうであったのは今更言うまでもない。
youtubuにある予告編の動画についている低評価の数を見れば、どれだけ期待値が低かったかわかる。

  それはもちろん、日本で2004年の『デビルマン』以降漫画の実写化の評価が思わしくないこと、そして去年三池監督が監督した同じく漫画原作の『テラフォーマーズ』が低評価だったことが理由としてある。
 それを知ってか、ワーナーと東宝は本編映像をガンガンyoutubuに投稿して、イメージアップを図ろうとしていた。
 ハッキリ言って本編の名シーンはほとんど全てyoutubuで見られる状態で、これはやりすぎである。だがそれだけ本作の前評判の悪さに危機感を持っている様子が伺える。
 しかし同じ漫画原作の実写映画でも、『ジョジョ』や『ブリーチ』に比べて『亜人』や2015年の『アイアムアヒーロー』などは前評判がそんなに悪くなかったのはなぜだろう?
 それは恐らくこれらの作品がそもそも実写を強く意識して描かれているのに比べ、『ジョジョ』や『ブリーチ』や『ドラゴンボール』は世界観も登場人物のデザインも、漫画でしかできないような極端なものになっているからだ。特に登場人物のエキセントリックな髪の毛をどうするのかは常に議論される問題である。
 今回の『ジョジョ』のスチールが最初に公開された時も、一番叩かれたのが髪型だった。山崎賢人のリーゼントと学ランがコスプレにしか見えないとネット上で炎上した。

 だが結局のところ、実写版『ジョジョ』がこれだけ異常に叩かれた原因は、「日本人に漫画の実写化は無理」という偏見があまりにも広がりすぎたからのように思える。
 日本映画の大作映画の予算が多くても10億円程度であることと、CGのレベルがハリウッドに比べかなり劣っていると広く認知されていることが、観客の期待値を下げる要因になっている。脚本と演出がどうしてもマーベルの映画などと比べた時に劣っていることも低評価を受ける原因だろう。(CGの場合、どれだけの人数が作業するかで出来不出来が決まる世界らしい。ハリウッド大作の場合CGだけで数百人以上が関わる)

 ところが今回の実写映画、なんと公開されてみると意外と評判が良いのである。絶賛というほどではないが、「思ったより悪くなかった」「結構よかった」という人が多い。原作者の荒木飛呂彦さんも多分本音であろう絶賛コメントを寄せている。

 

三池 崇史と制作会社OLM

 今回スタッフを調べてみて少し面白かったのは、この映画の制作プロであるOLMがどちらかというとアニメの制作会社だったことだ。『妖怪ウォッチ』やポケモンのTV・映画シリーズや『イナズマイレブン』などを制作している。
以下のOLM公式サイトで作品一覧が見れる。

作品紹介 | OLM / OLM Digital

2005年から実写映画の制作も始めており、特に三池崇史監督との繋がりが深い。
『藁の盾』『悪の経典』といった人気小説の実写化や、『ヤッターマン』『忍たま乱太郎』『テラフォーマーズ』『無限の住人』といったコミックの実写映画化も制作している。これら全て三池 崇監督作品である。
(ところでOLM、オリエンタル・ライト&マジックは多分アメリカのCG会社ILM(インダストリアル・ライト&マジック)から取っているんじゃないかと思う)

 

上手くいっている画面作り

 ところで作品内のCGIもOLM社のCG部門、OLM.Digitalが作成している。
 今回の『ジョジョ』で誰が見ても分かるのは、CGのレベルの高さだろう。特に変幻自在の液体型スタンド、アクアネックレスは特筆の出来で、むずかしい水の動きをCGで見事に表現している。後半のバッドカンパニーのCGも実に良い感じで、OLM.Digitalの技術の高さが伺える。(しかしテラフォーマーズはひどかった。人物以外をほぼ全編フルCGというのはまだ無理があるのかもしれない。ちなみにOLMは技術情報をHPで公開していて、研究成果やツールなどが無料でダウンロードできる。見てみると結構面白い。HOME OLM Digital R&D

 日本の漫画実写映画化における最大の試練は、限られた予算の中でどれほど(見た目で)説得力のある世界観を作れるかどうかだが、今作『ジョジョ』ではレベルの高いCGに、独特の街並みを持つスペインでロケした効果が加わり、漫画の世界観の再現としては十分及第点となっている。
 スペインの街中に日本語の看板を立て、日本人を歩かせているだけなのが一目でわかってしまうのは確かだが、日本にはない独特の風景が山崎賢人を始めとする奇抜な衣装を着た俳優達と奇妙にマッチし、実写ジョジョの世界観の説得力に大きく貢献している。
 食事や葬式の場面もキチンと外国風に演出がされているのも良かった。イタリアの風景の中で白米に味噌汁とか、仏壇とかが出てきたら冷めるところだ。

 三池崇監督とはよく仕事をしていて、日本アカデミー賞を受賞している撮影監督 北信康さんの撮影も手を抜いておらず、ツヤある豪華な画面にしようとしているのがわかる。映画全体で、なるべく「安っぽさ」や「コスプレ感」を出さないようにとの努力が伝わってきて非常に好感が持てる。
 それでも原作にある極端なリーゼント頭の主人公を大真面目に再現する大真面目な三池崇のいつもの演出はやはりシュールではある。

 役者達は軒並み好演。特に空条承太郎演じる伊勢谷友介は原作に比べ、やせ気味の体格とすこし老け気味であることを除けば、非常にカッコいいキャラクターに仕上がっている。
 主人公の仗助も少し顔が可愛すぎることと、不良喋りがたまにわざとらしくなるところを覗けば、なかなかヒーロー然としてて悪くない。
 ただこの辺は原作の熱心なファンではない僕の意見なので、この辺りは書いても仕方ないかもしれない。だが何よりも気になったのはストーリーである。

 

シリアスに演出されるストーリー

 

 映画は原作『ジョジョ』の29巻から30巻にあたる東方仗助の登場エピソードを元にしている。基本的なストーリー、台詞はほぼ原作通りである。ただし映画なりのアレンジが加わってる部分がいくつかある。

  今回実写版『ジョジョ』で一番目立つ原作からの変更点は、全体が非常にシリアスの方向に寄っていることだろう。
 特に軽いポップなタッチで描かれた2016年のアニメ版を見てる人なら、同じ場面でも非常に重たくなっていることに戸惑うかもしれない。

 今回の実写版『ジョジョ』では、「家族」というものが非常に強調されている。

 原作では「胸糞悪くなる犯罪者」として同情の余地もないクズとして描かれていたアンジェロだが、実写版においては人殺しであると同時に、心に闇を抱えた人間として描写されている。

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心に闇を抱えた男として描かれるアンジェロ。


 アンジェロに父親を殺した過去があるという原作になかった設定が加わっており、実写版ではそこが強調して描かれる。(なぜ父親を殺したかは曖昧にされているが)アンジェロはボロボロのホームレスのようないでたちで、演じる山田孝之の演技は非常に暗く、彼の苦悩を強調したものとなっている。
そして彼が父親を殺したという部分が、後半の虹村形兆との戦いにも繋がってくる。

 『バッドカンパニー』のスタンドを持つ虹村形兆が、父親が異形の怪物になってしまったことに苦悩しているという部分も、原作やアニメよりも暗く描かれている。
(天井裏を徘徊しては物を散らかす父親に「散らかすなって何回言えやわかるんだ!」と言って蹴飛ばすシーンは、認知症の親を抱える家族の介護疲れを連想させる。)

 そして主人公の仗助にも「父親」というワードが付いて回る。
 今回の実写版では仗助と、その母の明子、そして(母方の)祖父の良助という三人の家庭を描くことに前半の尺を使っており、そのことで原作では軽く流されていた父親代わりの良助の死は、より重い形で描かれる。
 その後のアンジェロを石化させる場面も、原作では爽快感のある描写で描かれていたものが、台詞こそ同じだが非常に暗い形にアレンジされている。
 前半に父であるジョースターの存在を知らされた仗助は戸惑いを見せる。そして中盤、家族との夕食後に仗助が明子に自分の父親について尋ねるシーンがある。ここは原作にはないシーンで、仗助が父の存在を知らされたことがきっかけで、現在の父(祖父)と母のことを強く意識する場面になっている。

 こうして優しい父として描かれた良助が中盤に非業の死を遂げるわけだが、そのことが、父親を殺して心に闇を背負ったアンジェロ、そして変わってしまった父親を殺すために罪を犯し続ける虹村とも繋がってくる。

 チンピラや不良、社会から外れてしまった人間たちとその家族の関係性 それが実写版ジョジョのテーマになっている。だから重いのだ。

 

なぜこんなにシリアスになったのか?

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人生に負け続けだった人間たちが宇宙に飛ばされる『テラフォーマーズ

 

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孤独なサイコパスの人生観を描いた『悪の教典

 

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なぜそこまでして人間の屑を守るのか考察した『藁の楯』、いずれの作品も人間描写に重きが置かれている。

 

 なぜ実写版『ジョジョ』は物語がこんなにシリアスなのか?

 三池監督は撮影現場の雰囲気でいくらでも脚本を変更することで知られている。面白いと思った意見は何でも取り入れ、俳優、撮影、編集などスタッフの意見をよく聞く監督だということらしい(そして作った後は酷評されようが責任をとらないことも有名)。
 三池 崇史 監督はインタビューにおいて何度も「俺はこだわりとか作風とかは考えない」と答えている。とにかくその作品に対して必死に取り組むことが大事だと三池監督は言う。

 僕は三池作品を全て見たわけではない(というかいるの?)、それでも三池 崇史の近年の作品にはある共通点があることがわかる。それはキャラクターのドラマを掘り下げて、キャラクターの「魂」を描こうとしていることだ。

 2016年に公開されて酷評された『テラフォーマーズ』にしても、物語の核は人生に負けてしまった人間たちがなんとかやり直そうとするドラマであり、そこが強調されていた(というか他の部分がひどすぎてそこだけが救いだった)。その前の『悪の経典』も大量虐殺シーンに目が行くが、核となるのはサイコパスとして生まれた人間の内面・人生を描くドラマであった。
 そして『藁の楯』である。脚本が雑すぎる映画として酷評され失敗作とみなされているが、それでも見るべきところは大沢たかお演じる主人公の内面描写である。
このツッコミどころ満載の話の中で、救いようのない犯罪者の楯となる主人公の心の中にある”何か”について三池監督は真剣に考えている。

 三池監督に「作風」もこだわりもない。だが自分が手掛ける物語の「本質」を探ることを毎回ストイックに行っている。普通は当たり前のことではあるが、近年の日本のエンタメ映画界からはそんな当たり前さえ消えてしまって久しい。日本エンタメ映画が忘れてしまった「人間を描く」という姿勢を変わらず持ち続けているのは好感がもてる。

「登場人物たちは、ちょっとドロップアウトしているヤツら。でもそういうヤツらが、自分たちなりの正義を見つけて、ときに大事なものを失う」


 三池監督と脚本の江良 至は、原作『ジョジョ』のアンジェロや仗助といったキャラクターの共通点を掘り下げ、彼らの人生や魂を描こうとしたように思える。

 

 しかし重すぎて退屈。

 上記した色々なことがあってこの作品は評価できる部分は多い。だがそれらがこの作品の、特に後半のダラダラした退屈さを生んでいるのは事実だ。

 最近「ヒーローが悩む映画はもう見たくない」という声がよく聞かれるが、その理由は重い雰囲気の会話ばかりがダラダラ続いて話が鈍重になってしまい爽快感がなくなってしまうからだ。そしてこの実写版ジョジョは完全にそうなっている。

 後半の主人公 仗助と虹村兄弟との対決はCGが良い出来なので何とか見ていられるが、長いダラダラした会話の中にチョビチョビとバトルが挟み込まれ、疾走感が無く、テンポも悪い。何より薄暗い廃屋の中での闘いが続き画面がずっと暗いままなので、どんどん眠くなってくる。前半でスケールの大きさを感じさせる杜王町での場面が続いたが、その落差は激しい。後半で予算がなくなったのかと疑わせるほどだ。そしてラストの虹村形兆の秘密が明かされる場面は本当に長い、長すぎる。

 これは脚本の問題もあるが、編集で切るべきところが切れていないのが原因ではないかと思う。この人間ドラマを残したまま、会話の不必要なところを細かく切っていけば十分スピードが速くなるように感じた。この退屈な重さは、「シリアス」なのが原因ではなく、テンポが悪く疾走感が無いのが原因だ。『ダークナイト』などを見れば物語がどれだけシリアスでも、ストーリーに疾走感を出すことができることがわかる。

 そして原作再現も中途半端な部分が多い。特に山岸 由花子は何のために出てきたか全くわからず原作ファンへの媚びとしか思えない。しかもそのせいで映画がさらに長くなるのである。バッサリ切ったほうが良かった。
 原作のシーンやキャラを無理に再現しようとすることが、逆にこの映画に鈍重さと不自然さを生む原因となっている。

 

ヒーロー・漫画映画に必要のものとは何か。
 今年の10月から公開されている同じく漫画映画化の『亜人』。こちらは『ジョジョ』よりも評判が良いとのこと。実際に見に行ってみて理由はすぐにわかった。テンポが良いからである。CGはジョジョよりもさらに良くなっている。ドラマを捨てて映画全体をアクションで埋め尽くし、しかもそのアクション自体がド派手で飽きさせない。そして何より映画全体が「安さ」を感じさせないことが何よりも大きいだろう、見ている間に常にスケールの大きさを感じたし、それだけ世界観の見せ方がうまいように感じた。

 これは長くなりそうなので今度『亜人』の批評で書かせてもらうが、とにかく今回批評した実写版『ジョジョ』、そして『亜人』は日本が今後 漫画を実写化していく中で、何が必要なのかを示す大きなヒントになったように個人的に思う。
 『ジョジョ』にしても『亜人』にしても高く評価された部分は「原作再現」の部分ではなく、世界観をうまく作り上げ、画面にして見せた部分である。
 そうなると漫画実写化において必要なのは、「説得力のある世界観を画面に映し出す」ことであることがわかる。そもそも漫画とは絵の快楽であり、魅力的なイラストで絵の世界に酔わせることができるかが重要なのだ。
 そうなると重要なのは原作を愚直に再現することではなく、原作を始めて読んだ時に感じたような「絵の衝撃」を映画版でもお客さんに与える事ができるかどうかが重要ではないだろうか?

 今回の『ジョジョ』は部分的にそれを達成したことで、一定の評価を得ることができた。しかし同時に三池監督のキャラクターを掘り下げようとするあまりの、ダラダラした鈍重さがそれらの美点を相殺してしまっている。
 かといってドラマを捨てて、アクションと世界観のみで作った『亜人』に満足したかというとまた疑問がある。

 両作品とも世界観を作り、説得力のある画面を作ることには成功している。あとは『ジョジョ』の深いドラマを描こうとする部分、『亜人』の矢継ぎ早のアクションで疾走感のある映像を作ろうとする部分、その両方を組み合わせ、その両方を成立させることができれば、その時完璧な実写映画化が完成するのかもしれない。

 


三池崇史監督へのインタビュ―。

 

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